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洛中洛外図 「歴博甲本」作者、狩野元信と推定
このニュースに関連して、昨日の読売新聞に面白い記事が載っていた。
洛中洛外図[らくちゅうらくがいず] 歴博甲本には様々なコードが隠されていた事が発見されたという。
最近ではダヴィンチコードなる映画が公開されていたのでピンと来るはずである。
まあ、からくり、暗号といったところだろうか。
洛中洛外図は京都の市街や近郊の様子を描いた絵画[屏風]で何点か現存している。
当時の文化風習や建築様式を知る上で非常に役立つ、重要な文化財でもある。
先の記事にもあったが16世紀の作は歴博甲本、東博模本、上杉本、歴博乙本と呼ばれる4点だけで、あとは江戸時代の作品だという。
最も有名な洛中洛外図屏風が1574年[天正2年]に狩野永徳が描いた上杉本で、石山本願寺、越前国、伊勢長島の本願寺勢の蜂起で忙殺されていた織田信長が武田勝頼の南下阻止を依頼するために上杉謙信に贈ったとされていたが、最近では足利将軍が上杉謙信に上洛を促す意図で贈ったとされる説も有力だ。
上杉本には、輿に乗った上杉謙信らしい一行が上洛する様子が描かれている。当時は幕府から許可が無いと輿に乗ることを許されなかったから、輿に乗っているのが上杉謙信だと分かる。
現在、上杉本は国宝に指定されている。
さて、話は歴博甲本に戻るが
歴博甲本のテーマは「父子の繁栄」だということだ。
作者は狩野元信で、発注したのは当時の室町幕府管領 細川高国と推定される。
細川高国は大永元年(1521年)3月に将軍 足利義稙[よしたね]を追放し、足利義晴を第12代将軍として擁立し、天下人に最も近い地位にある人物だった。
嫡子の稙国[たねくに]に家督を譲ったとき[大永4年(1525年)]に、室町幕府の絵師・狩野元信にこの洛中洛外図を描かせたらしい。
だが「父子の繁栄」という細川高国の願いとは相反し、嫡子・稙国は家督を譲られたその年に死に、1531年[享禄4年]細川高国 自身もライバル細川晴元の重臣・三好元長に攻められ自刃している。
- 洛中洛外図コード -
コードを発見し研究した一人、国立歴史民俗博物館の小島准教授によると、
「笛で遊ぶ家人」は主人が留守をしていることを意味するコードと解釈し
白い顔は公家を意味する。
烏帽子[えぼし]の形によって身分を区別する。
屋根や柱で顔をわざと描かないよう配慮された人物が将軍であると読み解いた。
このスタイルは後に描かれている上杉本などの洛中洛外図にも一部受け継がれているという。
洛中洛外図屏風甲本[写真]
http://www.rekihaku.ac.jp/gallery/rakutyuu/index.html
http://www.rekihaku.ac.jp/events/gallery/index.html
洛中洛外図屏風甲本公開[重要文化財]
国立歴史民俗博物館 第2展示室
平成19年10月30日(火)~11月11日(日)
http://www.rekihaku.ac.jp/events/o071030_r.html
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