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その時歴史が動いた 大坂城は超ハイテク要塞だった?「堀」をめぐる攻防の真相
大坂城の掘りの発掘調査から判明した大坂の役[おおざかのえき]の真実

豊臣秀吉が築いた大坂城は城の周りの堀[内堀]だけではなく、その城下町をぐるりと廻る広大な外堀も有する二重堀の城だった。
しかも、当時のハイテク技術といえる、障子掘り[しょうじぼり]やトーチカの設置など様々な工夫が凝らされていた。
大坂の役が始まったが徳川軍は二十万の兵を持ってしてでも大坂城の堀を越えられず、冬を迎え兵糧もつき、次第に逆に追い詰められていく事となる。
家康は和睦を豊臣方に申し入れる。
徳川方は兵を退く代わりに、城下町の周囲の外堀の埋め立てを豊臣方に認めさせた。

しかし、それは徳川方の謀略だった。

大坂冬の陣の和睦の後、徳川方は二十万の兵のうち、
十三万の兵を退き、延べ七万人を残し、昼夜問わず総がかりで外掘りを埋めた。
堀を埋めるため城下町の家々は悉く取り壊され、全てが掘りに投げ込まれたらしい。
城下町の周囲の外堀が埋められると、徳川方は約束違反の城の周りの内堀も埋め始める。
そして終に本丸を残し全ての堀が埋まってしまった。

豊臣方も黙ってはおらず、城の周りの堀を掘り返すことになる。
そして豊臣方のこの行為が徳川への愚弄だという理不尽極まりない口実を与えてしまった。
満を持して大坂夏の陣が勃発する。
真田幸村[信繁]らが城を出て抵抗するが、それも焼け石に水。
堀を失い丸裸にされた大坂城は一気に攻め込まれ、豊臣秀頼と淀殿は燃え盛る城内で自刃する。

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⇒参考 : 戦国時代の本 ⇒戦国時代掲示板

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