2007年12月04日

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国宝 犬山城
コメントより
1537年 織田信康により建てられた。戦国時代の城としては唯一現存する。小牧・長久手の戦いで豊臣方の拠点となり120,000人余の軍勢が陣をはった。1935年国宝 に指定されている、国宝指定の松本城、姫路城、彦根城のなかで最も古い。

織田信康は織田信長の父 信秀の弟
つまり信長の叔父

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コメントより
Added: August 19, 2007
2007.08.19撮影

先日の日曜日、
奈良県の郡山城に行ってきました。
ビデオや写真を撮ってPV風にしました。
お城を攻めてる感じに作りました。

織田信長の勢力を背景に配下武将の筒井順慶がコノ地に築城。
大和一円を其の勢力化に置きました。
この当時から今に残る物は石垣と堀だけです。
追手門、隅櫓、多聞櫓は復元された物です。
また天守は現存しませんし、
復元もされていないようです。

筒井家統治の後、豊臣、増田、水野、松平、本多
と矢継ぎ早に、名立たる名門の居城となりますが、
享保9年(1724年)柳沢吉里が入城して以来
150年近く柳沢家の居城として落ち着きます。

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2007年11月16日

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三成に過ぎたるもの佐和山城[近江国]と言われるほど、佐和山城は素晴らしい城だった。

佐和山城は関が原の合戦で軍功を上げた井伊の赤備えで有名な井伊直政の城となり、
その後、石田三成の亡霊を封じ込めるため佐和山城は廃城となり彦根城が築城された。
赤鬼・井伊直政の子孫たちは徳川幕府の元で彦根藩主として栄えることになるが、
幕末の大老・井伊直弼[なおすけ]が安政5年[1859年]に安政の大獄を起こし、
それが原因で安政7年[1860年]、桜田門外の変が起き、暗殺された。
井伊家側は直弼以外に8人が死亡し、
幕府内での井伊家の権力は失墜し没落の一途を辿ることになる。

彦根城は現在国宝に指定されています。

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2007年10月19日

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その時歴史が動いた 大坂城は超ハイテク要塞だった?「堀」をめぐる攻防の真相
大坂城の掘りの発掘調査から判明した大坂の役[おおざかのえき]の真実

豊臣秀吉が築いた大坂城は城の周りの堀[内堀]だけではなく、その城下町をぐるりと廻る広大な外堀も有する二重堀の城だった。
しかも、当時のハイテク技術といえる、障子掘り[しょうじぼり]やトーチカの設置など様々な工夫が凝らされていた。
大坂の役が始まったが徳川軍は二十万の兵を持ってしてでも大坂城の堀を越えられず、冬を迎え兵糧もつき、次第に逆に追い詰められていく事となる。
家康は和睦を豊臣方に申し入れる。
徳川方は兵を退く代わりに、城下町の周囲の外堀の埋め立てを豊臣方に認めさせた。

しかし、それは徳川方の謀略だった。

大坂冬の陣の和睦の後、徳川方は二十万の兵のうち、
十三万の兵を退き、延べ七万人を残し、昼夜問わず総がかりで外掘りを埋めた。
堀を埋めるため城下町の家々は悉く取り壊され、全てが掘りに投げ込まれたらしい。
城下町の周囲の外堀が埋められると、徳川方は約束違反の城の周りの内堀も埋め始める。
そして終に本丸を残し全ての堀が埋まってしまった。

豊臣方も黙ってはおらず、城の周りの堀を掘り返すことになる。
そして豊臣方のこの行為が徳川への愚弄だという理不尽極まりない口実を与えてしまった。
満を持して大坂夏の陣が勃発する。
真田幸村[信繁]らが城を出て抵抗するが、それも焼け石に水。
堀を失い丸裸にされた大坂城は一気に攻め込まれ、豊臣秀頼と淀殿は燃え盛る城内で自刃する。

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2007年07月11日

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信長王さんの撮影だと思いますが、安土城の石段を登っています。かなり険しい急な石段ですね。実際に行って見たいですが、なかなか行けませんので、こういった動画は非常に有難いものです。400年前には信長たちが歩いていたと思うと感慨深いものがあります。もう少し見たいと思いました。

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日本の歴史至上で最も熱かった時代、それは戦国時代。 でも、こんな時代が本当にあったのだろうか? これだけの資料があるのだから、戦国時代ってのは本当にあったんだろうなぁ。 未だに半信半疑な気分でのめり込んでいます。

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