2007年12月20日

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利家とまつ 加賀百万石物語
鬼の淀どの[茶々]

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2007年12月12日

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真田太平記
豊臣秀吉死す

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2007年12月02日

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毛利氏と石見銀山[いわみぎんざん]

中国地方の戦国武将たちは宝の山 石見銀山を巡り争奪戦を繰り広げていた。

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2007年11月16日

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風林火山での馬の撮影風景
テレビを携帯かなんかで撮ったらしく
画質は悪い。

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2007年10月31日

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毛利元就 大河ドラマ

つづく

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2007年10月27日

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大河ドラマ 加賀百万石物語 第1回 「婚約」

織田信長、豊臣秀吉に仕えて加賀藩 前田家の祖となった「前田利家」と
糟糠の妻[そうこうのつま]である賢妻「まつ」の生涯を描く

前田利家 - 唐沢寿明
まつ - 山口美香 → 松嶋菜々子

織田信長 - 反町隆史
豊臣秀吉 - 香川照之

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大河ドラマ 独眼竜政宗 第22回 「弟を斬る」
この回の放送前に伊達政宗の弟 伊達小次郎 役の岡本健一を殺さないでとNHKに投書が殺到。(当時、岡本健一はジャニーズの人気アイドルだった)

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2007年10月14日

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葵 徳川三代

第30回 「大坂城炎上」
大阪の陣[おおざかのじん]
真田幸村(信繁)が大活躍
豊臣秀頼と淀殿(茶々)が自刃

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2007年09月02日

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織田信長・徳川家康連合軍と甲斐の武田勝頼が戦った、長篠・設楽が原の戦い[ながしの・したらがはらのたたかい]は武田勝頼が徳川配下の奥平信昌が守る長篠城を包囲する事から始まった。
長篠城城主・奥平信昌の家臣に鳥居強右衛門[とりいすねえもん]という者がいた。
鳥居強右衛門は後詰の援軍を得るため、武田勝頼軍の隙を見て長篠城から決死の脱出を試みて見事に成功し、城の窮状を家康方に伝えて、大役を果たしたのであった。
ところが鳥居強右衛門は帰陣する際に武田軍に捕まってしまう。
捕まった強右衛門は、場内の兵士の士気を落とすため、城の門前にて「家康・信長の援軍は来ない」と言えば命だけは助けてやると言われ、門前に引き出される。
(この大河ドラマではちょっと話が違っていますね。)
そして、鳥居強右衛門が門前に引き出され、強右衛門が命を掛けて言った言葉は、
「徳川家康・織田信長の両大将は、すでに4万の大軍を引き連れて岡崎を発した」だった。
当然、鳥居強右衛門は磔にされ槍で突き殺された。

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2007年07月16日

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元和元年 [げんな 1615年] 大坂夏の陣
5月7日 朝
真田幸村[信繁]の軍勢は茶臼山[ちゃうすやま]に陣を構え、西軍の最前線となっていた。
一方、東軍の総大将である74才の家康も自らが出陣し陣を構えていた。
真田幸村の陣から、家康本陣までは約1里[4km]と言う距離。後が無い最後の決戦に挑まんとする幸村の軍勢は深紅の赤揃え。赤い甲冑・具足[赤い兜、赤い鎧、赤い小手]を身に付け、そしていずれも赤い旗を立て、幸村の突撃の命を待っていた。
ついに幸村が突撃の命を下し家康の本陣を急襲する。家康は幸村隊の猛攻に自決をも覚悟したというが、討ち取られる寸でのところで家臣たちに救われた。
そして、幸村隊の突撃により2代将軍・徳川秀忠の陣も手薄になり、秀忠自身も西軍・豊臣の兵に狙われることとなる。将軍を守ったのは徳川将軍家の剣術指南役になった柳生宗矩[やぎゅうむねのり、又右衛門]だった。彼は迫り来る豊臣の兵を7人連続で切り殺したと言う。彼がいなければ秀忠も危うかっただろう。
かくも家康と将軍秀忠を追い詰めた真田幸村だったが、善戦空しくも討ち死にし、終に六文銭を使う時が訪れた。
そして翌5月8日には豊臣秀頼・淀殿母子が大坂城で自刃、大坂の役は終結、ここに豊臣家は滅びたのである。

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かんりにん一言

日本の歴史至上で最も熱かった時代、それは戦国時代。 でも、こんな時代が本当にあったのだろうか? これだけの資料があるのだから、戦国時代ってのは本当にあったんだろうなぁ。 未だに半信半疑な気分でのめり込んでいます。

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