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日本の歴史を勉強している人にとっては、そのきっかけの多くは戦国時代だったかもしれません。あるいは人によっては平安時代や室町時代の可能性もあります。特に男性が歴史にはまるきっかけとなったのは、戦の歴史がスタートと言っても良いでしょう。
その中で必ず登場するのは、甲や鎧の類になります。近代になると、新装備になっていくためそのようなものを利用されていませんでしたが、江戸時代より前はそのような格好が主に利用されていたわけです。
歴史を見ると、古代からスタートしていると言っても良いかもしれません。古代は、武士や戦士が戦をするときに自分の身体を守るために装着したわけです。ただ、当時は鉄砲がなかったため、石や刀あるいは弓矢を避けるためのものになります。身分が高ければ高いほど、頑丈なものが用いられていました。やはり、それだけ身分の高い人の方が命の値段も高かったと言えるでしょう。それだけでなく、それなりに資金があったことがわかります。
ところが、戦国武将になると少し話が変わってきます。戦国時代になると、武器の1部が変わりそれに対する防御も考えなければなりませんでした。新しい武器の1つが、鉄砲になります。鉄砲1500年代中ごろに日本の種子島にポルトガルから伝わったものです。当時は2丁しかなかった鉄砲が、下がって江戸時代になる頃には300,000丁に膨れ上がったとされています。これほど多くの鉄砲が流通すると、必ず戦の時には武器として利用されることになりました。ただ、すべての防具が鉄砲に対して有効だったわけではありません。やはり、これを有効とするためにはカルタ金などの素材が必要とされていたわけです。あるいは、今までと同じ鉄をモチーフとした素材を使っていたこともありましたが、1枚だけの鉄板では防御にならないことが多かったわけです。そこで戦国武将の中には、鉄板を5枚重ねにして使っていたこともあるほどです。
逆に、身分の低いものは鉄砲に対する防御が不十分でした。やはり、それだけ手に入れるのも大変だったことが理解できるでしょう。当時の鉄を手に入れることは難しくありませんでしたが、鉄砲を完全に防ぐ程度の轍を手に入れるのはそれなりのお金がかかったといいます。そして何より、持ち歩くのが非常に重くこれを着用した場合で20キロほどあったと言われ、容易に動くことができなかったわけです。現代の日本人のように体が大きい場合は別ですが、体が小さかった日本人からすれば、デメリットが大きかったと言えるわけです。
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