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日本の戦国時代


戦国時代という言葉が使われるようになったのは、明治維新のあとです。では、戦国時代のタイムラインはいつからいつまでなのでしょうか。辞書で調べてみると応仁の乱から一年とあります。しかし、調べてみますとすごく曖昧であることがわかります。戦国時代は日本の各地に武将が生まれ、城を築いた時代だと言えるでしょう。歴史的に見ても戦争が頻繁に行われた時代になるのです。織田信長が15代将軍足利義昭を追放したときに、終わったという意見もあります。

しかし、他にも豊臣秀吉が北条氏を降伏させて天下統一した時とも解釈できます。その後、天下分け目の関ヶ原の合戦で勝利した徳川家康が江戸に幕府を開いたときも言えるのです。こう見てみると諸説あることがわかります。確かにその期間に日本各地で合戦がなされ、多くの血が流されたことがわかります。では、市民はどうしていたのでしょうか。農民がほとんどになりますが、足軽として戦いに参加していました。戦国時代は生きるか死ぬかの時代ですから、市民も大変です。自分や家族、土地を守るために一致団結して戦う必要があったのです。合戦が終われば、死んだ人から甲冑をはぎとり売ってお金にしました。リーダー格の死体を発見すれば、首を切って自分の手柄だと言って差し出します。大変な時代であったことは明らかです。

農民を集めて戦いに出ると作物を作る人がいなくなってしまいます。そのため、織田信長や豊臣秀吉は米の収穫期の秋は戦いに行かなかったようです。そうすることで食糧を確保することが出来たのです。日本が戦国時代で覇権争いをしていた時は、海外でも同じようなことが起きていました。その時に日本に侵略に来なかったのは、日本に多くの武士や武将がいたからだと言われています。確かにそのような人がたくさんいる所に船で攻めても不利であることは言うまでもありません。江戸時代になりやっと市民は平和を謳歌できるようになったわけですが、それまでに大きな犠牲があったことがわかります。大河ドラマでも何度も扱われた時代ですが、血生臭い大変な時代であったことは明白です。その後、平和な時期が続き明治維新が起き、現代になるわけです。

確かに動乱の時代でドラマがあり、人々が必死に生きたことがわかりますし、簡単ではありませんでした。過去に起きたことからいろいろ学ぶことが出来ます。歴史として過去に流すのではなく、同じ失敗を繰り返さないように平和な時代を保つことが大事です。

 
⇒参考 : 戦国時代の本 ⇒戦国時代掲示板

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日本の歴史至上で最も熱かった時代、それは戦国時代。 でも、こんな時代が本当にあったのだろうか? これだけの資料があるのだから、戦国時代ってのは本当にあったんだろうなぁ。 未だに半信半疑な気分でのめり込んでいます。

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