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戦国時代の大名のお仕事


戦国時代の大名は戦場で武功を立てることを仕事にしていたというイメージがありますが、戦を行っていない平時は侍や武将といえども武士という身の上で別の仕事をしていました。まず、主人が住んでいる「お城」は、現在でいうところの役所や税務署、軍事施設など行政に関するさまざまな業務を担っている施設でもありました。そのため戦国大名の役割としては、農業や商業の管理はもちろんのこと公的文書を配達する郵便局の仕事や、土木建築などの陣頭指揮も行っていました。特に戦国時代は身分制度が曖昧でもあったため、よほど身分の高い武将でもない限りは農作業にも精を出していたと言われています。

 

戦国時代の大名の日常は、早朝5時には起床して屋敷内の点検を行い6時ころにはお城に出仕していました。お城での役割は武将によって異なり、身分のあまり高くない者は馬の世話やお城の備品管理などといった主に雑用をメインに担当していたようです。身分のある程度高い武士や武将になると役職に応じたそれぞれの仕事があり、お殿様の文書の代筆や書類の作成、備蓄食糧の管理と補充、お城の補修や整備などがありました。中でも武将とは違い下級の侍などは小姓(こしょう)として24時間主人の身の回りの世話を行う仕事を担当しており、精神的にも最も多忙で過酷であったと言われています。

 

一方、お城に出仕していない武士たちは、自らの領地の管理や来客などの接待などと共に、自らの農地を耕すなど畑仕事にも従事していたようです。当時は照明が発達しておらず夜になると真っ暗になってしまったため、暗くなるまでに一日の仕事を終えなければならなかったことから多忙を極めていました。夕方になると仕事は全て終了させて夕食は午後5時前後、その後は屋敷内の点検を行い午後8時には就寝して一日が終了します。

 

これが一日のスケジュールですが、戦場で活躍するためには身体も鍛えておかなければなりません。武士たちは忙しい合間を縫って体を鍛えたり、戦場で役に立つ技術を身につけていました。弓や刀の扱いはもちろんですが、特に重要だったのが馬に関することで、扱い方や世話などにも多くの時間を割いていたと言われています。戦国時代は大名と言えども、戦による俸禄だけでは家来たちを賄っていくことはなかなか難しかったようです。しかし、そんな逆境をものともせずに自分の持てる能力を最大限に発揮し、さまざまな仕事をこなしながら日々を過ごしていたと考えられています。

⇒参考 : 戦国時代の本 ⇒戦国時代掲示板

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日本の歴史至上で最も熱かった時代、それは戦国時代。 でも、こんな時代が本当にあったのだろうか? これだけの資料があるのだから、戦国時代ってのは本当にあったんだろうなぁ。 未だに半信半疑な気分でのめり込んでいます。

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