<-織田信長 戦国時代

本能寺の変 織田信長の最後

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本能寺の変

天正10年

■天正10年[1582年]
織田信長 49才 -

▼2月1日
信濃 木曾義昌が甲斐 武田勝頼に謀叛、織田信長に寝返る。
信長、配下の武将に武田勝頼 討伐の大動員令を発令すると共に、甲斐侵攻の進路や出兵の条規を下す。

▼2月12日
先鋒として嫡男 信忠らが武田討伐に出陣。その他の武将達もこれに続き、信長が定めた進路に従い甲斐に侵攻。

▼3月2日
信忠 武田勝頼の異母弟 仁科盛信の護る信濃 高遠城を陥れる。

▼3月5日
信長 安土城を出陣。

▼3月11日
信長配下 滝川一益らが武田勝頼、信勝父子らを追い詰める。天目山の戦い。甲斐 武田氏滅亡

▼3月14日
信長、浪合にて武田勝頼、信勝父子の首実験を行う。

▼3月23日
上野と信濃2郡を滝川一益に与える。

▼3月26日
信忠の戦功を賞し、天下の譲与を約す。

▼3月29日
甲斐を河尻秀隆に、駿河を徳川家康に与える。

▼4月3日
信忠 六角義治の引渡しを拒んだ恵林寺を快川紹喜らの僧もろとも焼き払う。

▼4月10日
甲府より帰途につき、道々、徳川家康の接待で東海道を遊覧する。家康の接待は厚遇を極め、信長は非常に感銘を受けたという。

▼4月21日
安土城に凱旋。

▼5月
羽柴秀吉 毛利氏配下 清水宗治の拠る備中高松城を攻囲。

▼5月7日
三男 神戸信孝に四国討伐を命じる。

▼5月8日
秀吉 備中高松城の周囲に堤防を築き、水攻めを開始。

▼5月14日
信忠が安土城に伺候。

▼5月15日
徳川家康、穴山梅雪が安土城に伺候。明智光秀に家康らのご馳走役を命じる。この時、光秀が接待で粗相をしたとも言われる。
この日か、次の日、羽柴秀吉より備中高松城の陣への援軍要請が届く。

▼5月17日
明智光秀に中国出陣を命じる。光秀 近江坂本に帰城。

▼5月19日
徳川家康と安土城に幸若舞「敦盛」を見る。舞の出来が悪く激怒したという。
備中高松城の堤防が完成。

▼5月21日
徳川家康は後に毛利攻めに加わることを約し、京都、奈良、大坂、堺を見物するため安土城を出立する。

▼5月26日
明智光秀 近江坂本城より丹波亀山城に移動。

▼5月27日
明智光秀 愛宕神社に参拝し、連続3回の凶くじを引く。

▼5月28日
光秀 愛宕神社にて連歌の会を催し、「時は今[土岐は今]、雨[天]がした[下]しる五月かな」の句を詠む。
丹波 亀山城に帰る。

▼5月29日
信長 小姓衆を引き連れ本能寺に入る。

▼6月1日
森蘭丸より、軍備を整える丹波 亀山城 明智光秀の元に飛脚があり、「上様より中国出陣の人馬の様子をご覧に入れよとの下知あり」と光秀に申し渡す。
多数の公家衆や各地の諸将 豪商たちが本能寺の信長の元に伺候、入れ替わり立ち代り上洛と武田氏討伐を賀す。
信長の御前で名人 日海[初代 本因坊算砂]とその挑戦者「利玄」が碁の対局を行い、信長自身も夜遅くまで碁に興じる

▼6月2日 早暁
織田信長、明智光秀に本能寺を急襲され万事休す。炎に焼かれながら自刃。嫡男信忠も二条御所にて討ち死に。本能寺の変
光秀、夕刻 近江坂本に帰城。

▼6月3日
備中高松城を水攻め中の羽柴秀吉、信長が本能寺で横死したことを知る。

▼6月4日
秀吉 毛利氏の外交僧 安国寺恵瓊[えけい]を仲立ちとし、急遽 毛利輝元と和議を結ぶ。高松城主 清水宗治が切腹。

▼同日
光秀 諸将に誘降、共闘の檄を飛ばす。

▼6月5日
光秀 安土城に侵入し財宝を奪う。

▼6月6日
秀吉 毛利軍が撤退するのを見届け、京に軍を向ける。中国大返し

▼6月9日
光秀 再上洛し朝廷や諸寺などに銀子を献上。鳥羽に出陣。

▼6月13日
光秀、秀吉の軍勢と山崎で闘い敗走。山崎の戦い[天王山の戦い]
光秀 坂本城への道中、小栗栖で秀吉が手配した土民の落ち武者狩りにあい討死。


中国地方平定を命じられ、信長の予想を遥かに上回る快進撃を続ける羽柴秀吉は、毛利氏配下の清水宗治が拠る備中高松城を攻略していた。

これは羽柴秀吉と黒田官兵衛による戦国の合戦史上 最も有名な城攻めの一つである「備中高松城の水攻め」として知られるが、高松城は秀吉軍が突貫工事で築き上げた堤防で囲まれ、そこに梅雨時の川の奔流が引き込まれ陸の孤島と化し、落城は時間の問題かと思われた。しかし毛利氏も、織田氏と戦う最前線の牙城である高松城を抜かれるわけにはいかず、黙って腕を拱いているだけではなかった。終に毛利輝元と吉川元春、小早川隆景の毛利両川が高松城を救うべく全軍を挙げて救援に乗り出す事になる。

秀吉は水攻めは上手くいったが、毛利両川と堤防を挟んで対峙し、毛利輝元の本隊が猿掛山に後詰めの陣を敷いている以上、自軍だけで毛利全軍を迎え撃つことが不可能だと判断し、安土城に早馬を走らせた。

一方、信長は甲斐の武田討伐から安土城に凱旋して、嫡男の信忠や此度の合戦に協力した徳川家康と信長に寝返った甲斐の穴山梅雪[穴山信君]らを接待中であり、朝廷の勅使や公家たち、さらに各地の戦国大名らがひっきりなしに安土城に伺候し信長の勝利を祝っていた。そんな戦勝気分が最高潮に達する中、羽柴秀吉より信長の元に「毛利全軍が動き出した、直ちに救援を願いたい」と火急の知らせが届くのである。

信長は秀吉からの音信を受けると、毛利を叩く時は、武田を攻め滅ぼした旭日昇天の勢いの今が、まさにこの時だと直感した。

信長は直ちに惟任日向守光秀[これとうひゅうがのかみ]を始めとする諸将たちに中国地方への出陣を命じた。

つづく

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