スポンサードリンク
|
安土城 [あづちじょう]天正4年[1576年] 43才 〜 天正10年[1582年] 49才織田信長が天下布武を実現すべく築いた人生最後の城。信長の城と言えば安土城という程に認知度は極めて高い。 天正4年[1576年]、総普請奉行に丹羽長秀を、大工総棟梁に岡部又右衛門以言[またえもんもちとき]を据え、足掛け4年の歳月をかけ天正7年[1579年]に竣工した。 信長公記やルイス・フロイスの日本史など現存する資料から推測すると、南蛮風の天主閣[天守閣]や穴太衆[あのうしゅう]の石垣などは当時の築城技術の粋を結集する最高の建築物であり天下の名城と名高いが、本能寺の変後に炎上したため、すべてが灰になった幻の城でもある。 外観だけでなく、城内には狩野永徳の障壁画を始め、当時の最高レベルの芸術家達が、金銀の贅を尽くし、技を競いあい内装を作り上げた。また南蛮好きの信長が世界各地から取り寄せた逸品が所狭しと並んでいたという。 安土という場所は京都へも岐阜へも近く、東西への交通の要衝であり、近くに琵琶湖を控えた戦略的にも重要な要害の地。また築城当時の最大の敵だった上杉謙信の南下を阻止するのに極めて重要な位置でもあった。 ▼安土城といえば、かんりにんオススメの本がありますので紹介します。 火天の城 [かてんのしろ] - 山本兼一 一言で言うと安土城の天主閣を作事した大工の話です。 「あの山の頂に、天下に並び無き天主を建てよ!!」 「万端承知つかまつった。」 安土城 大工総棟梁の岡部又右衛門以言[またえもんもちとき]が、信長の無謀とも言える無理難題に崖っぷちまで追い込まれ、それに腕と気骨で応えながら、何万人という番匠衆[ばんじょう]、石工衆[いしく]、杣人衆[そまにん]、木挽衆[こびき]たちを纏めあげ、同時に普請現場に紛れ込んだ乱波[らっぱ]と戦いながら安土城を築城していく姿が活き活きと描かれた本です。信長が天下統一のために戦をするように、大工総棟梁の岡部又右衛門にとって安土城の作事はまさに合戦そのものだ。 杣人衆が天主を支えるための親柱である八間檜[はっけんひのき]を川に流す場面に度肝を抜かれ、杣人棟梁の気骨に涙します。そして圧巻なのが、山や谷をも動かすほどの大仕事で、その作業中に何百人が死ぬという大事故が起きたと信長公記やルイス・フロイスの日本史にも描かれている巨石の運搬作業の描写です。 もう迫力満点!! この超巨大な「蛇石」を安土山に引き上げる作業を手に汗を握りながら読みました。 運搬作業も終盤に差し掛かり、人夫数万人の汗と血を吸い込んで膨張した巨石がある事を切欠に山の斜面を滑り出します。一旦滑り出したら、誰にも止められません。 何百人が圧死したというあの蛇石の大事故の原因の真相がまさかああだったとは・・・ありえなくも無いな。 そして、数々の苦難を乗り越えてようやく城の竣工も間近という時に、又右衛門も含め誰もが予想できなかった大異変が城に起こります。今までの苦労と時間と予算が全て無になるほどのトラブルです。このトラブルに岡部一門が全力でぶつかります。流石にこれには大工魂を見せつけられました。 これだけの手間と時間を掛けて普請した城ですが、本能寺の変 直後に燃え上がります。本当に涙が出るほど切ないですね。たぶん、安土城という城は信長以外が住んではいけない魔城だったのでしょう。この作品で安土城に火を放ったのは、やはりあの人でした。 又右衛門以言と息子の又兵衛以俊[またべえもちとし]の父子の葛藤も必見です。いつまでたっても頼りない倅[せがれ]だと思っている父と、一人前になったつもりの息子。飯炊き女と乳繰り合っているのも父にはお見通しです。これは大工の親父と息子の成長を描いた心温まる話でもあります。面白いので一気に読める本です。これはオススメ!! |
|
|
織田信長、戦国時代[歴史関連]サイトとの相互リンク募集中です。織田信長 戦国時代 トップページにリンクしていただくと、 自動的に逆アクセスランキングに参加となります。 |
||||||||||
|