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<-織田信長 戦国時代

織田信長 暗殺未遂事件


■織田信長はその生涯、幾度となく殺されかけている。
時代と立場上、またはあの性格ゆえに、怨み怨まれ、家族・親族も含め周りらくじゅうが敵だらけだったから仕方がない事だ。
目標を天下と据えてからというもの、否、生まれながらにして生涯に渡り、奈落を俯瞰しつつ演じる綱渡りのような人生、まさに一歩脇に踏み外せば墜落だけという危うい人生だったとも言えよう。

その最もたる恐怖の一つが暗殺者という見えざる敵の存在である。
真正面から来るのではない、隙あらば真後ろ・左右・斜めから狙われる。寝ても覚めても、昼間暗闇、食事中、常に狙われていると言っても過言ではない。
しかしながら信長は奇跡的とも言えるべく、悉くその危機から脱出してる。

だが、さすがの恐るべき強運の持ち主 信長も、終には天正10年(1582年)本能寺にて家臣の明智光秀に成す術もなく殺されてしまう。あと一歩で綱渡りの向こう岸に足を掛ける瞬間、綱渡りの助手に奈落の底に突き落とされてしまったというわけだ。
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  • 永禄2年[1559年]2月 信長 26才
    暗殺者 : 美濃 斎藤義龍 配下 小池吉内 他30名
    永禄2年2月 尾張 織田信長は室町幕府 第13代将軍 足利義輝の謁見を賜わるため、80人の供を引き連れて上洛した。
    それを事前に知った美濃の斎藤義龍[故 斎藤道三の嫡男]は、これは信長を殺す又とない好機と捉え、小池吉内[きちない]を頭目とする刺客30人を京都に差し向けていた。
    ご存知の如く、これより3年前の弘治2年[1556年]、義龍が父の道三を殺害した時、道三は遺言状で美濃を信長に与える旨を認めて[したためて]いたし、父の道三を殺してからというもの、信長は義父の仇討ちと称して濃姫の苦悩なども意に介せず、隙を突いては美濃に侵攻し義龍を苦しめていたから、義龍は是が非でも信長の首級が欲しかったのである。

    計画通りに事が進めば、小池吉内らの刺客達は隠密裏に信長に迫り、鉄砲を一斉に射掛けて信長を蜂の巣にする腹積もりだったらしい。
    しかし、信長の強運がこれを阻止したのだった。

    刺客 小池吉内らが京に向かう途中、近江志那[おうみしな]で渡し舟に乗った際、信長の縁者・那古屋弥五郎の家臣・丹羽兵蔵[にわへいぞう]がこの連中と同席し、徒ならぬ[ただならぬ]雰囲気に気付いたのである。しかも連中の皆が手に手に長い筒のような物を持っている。
    しばらく連中の話を聞くうちに「上総には甲斐性が無い」との聞き捨てなら無い言葉を耳にし、いよいよ怪しくなった丹羽兵蔵は連中の後を尾行することを決意するのであった。

    連中が二条たこ薬師辺りの宿所に入ったのを見届け、連中の会話から連中の出身が三河出身だと突き止めていた丹羽は、三河出身の若者をまんまと宿所に滑り込ませて様子を探らせた。
    若者からの情報によれば、丹羽の予想は大方正しく、連中は美濃 斎藤義龍の命令で信長を鉄砲で暗殺しに行くという事が確実になったのである。

    この話を聞いた丹羽兵蔵は居ても立ってもいられなくなり、一目散に信長一行の逗留している宿所に駆け込んだという。
    信長は丹羽兵蔵に対し「宿は見置きたるか(確認したか)」などと尋ねると、丹羽兵蔵は今まで見知りしてきた事を信長に伝えた。
    丹羽の話を聞いて激昂した信長は、翌朝自ら連中の宿に乗り込むことを家臣に告げたが、家臣達がそれを思い留まらせ、家臣が乗り込むので、信長は近くの立売りで待つよう諭した。
    翌朝、信長の家臣一行は連中の宿に乗り込み、連中の頭目を4、5人程 立売りに呼び出した。
    立売りで待ち構えていた信長の前に、敵の頭目たちが引き出された。
    信長は連中に対し甲高い声で「お前達は信長を暗殺しに参ったのであろう、蟷螂の斧とはお前達のことだ、ここで相手をしてやる」と怒鳴った。
    信長のあまりの迫力に頭目たちは言葉に窮して、ただただ俯くばかりだったと言う。
    こうして、斎藤義龍の信長暗殺計画は失敗に終わったのであった。

  • 元亀元年[1570年]5月19日 信長 37才
    暗殺者 : 南近江 佐々木六角承禎 配下 杉谷善住坊
    六角承禎[じょうてい]と言えば、信長が足利義昭を奉じて上洛した際に、上洛経路にあたる自国の南近江を通過させまいと信長の行く手を阻んだ戦国大名である。
    しかしながら、衆寡敵せず、抵抗も空しく六角承禎は信長の6万という圧倒的兵力を前にいとも簡単に伊賀に遁走してしまった。
    平安時代からの名家 近江源氏 佐々木氏の嫡流子孫である六角承禎の矜持は、ずたずたに引き裂かれた事だろう。
    承禎は逃亡の人生に陥り、苦悶の生活を強いられたが、ある日、最後の足掻きとして信長に一矢を報いるべく一人の刺客を放った。
    その男の名は杉谷善住坊[すぎたにぜんじゅぼう]、鉄砲の名人と天下にその名を知られた男であった。

    つづく



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