2007年11月26日

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家康掛川城攻め「不入斗に陣」 袋井の民家に古文書
静岡新聞

 戦国時代の1569年、徳川家康が掛川城攻めのために本陣を置いた場所は、現在の掛川市の「入山瀬」説と、袋井市の「不入斗」説の2つの説がある。このほど、不入斗説の裏付けにつながる可能性が高い文言の入った古文書が袋井市国本の民家で見つかり、地元郷土史家の話題となっている。家康はどこから掛川城を攻めたのか。歴史ファンの注目も集めそうだ。
 今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に討たれた後、嫡男の氏真は駿府から掛川城に逃れた。その後、家康は掛川城を攻めるが、その本陣の場所の記述は古い書物などによって2つの説がある。
 最近の「掛川市史」によれば、通説は入山瀬説だが、不入斗も昔は「いりやまず」や「いりやませ」と読まれたため、不入斗説が台頭している。
 そんな中で“新発見”となったのが、袋井市国本の無職足立徳之さん(63)宅から見つかった「北原川旧蹤」という古文書。文書の中から「徳川家康公今川を攻めるとき陣を不入斗村に取る」という文言が見つかった。
 足立さんの友人で、この文言を見つけた郷土史家の兼子春治さん(62)によると、この文書は江戸期に書かれたものを足立家の人が明治期に書き写したとみられる。文書の元が何だったかは不明だが、兼子さんは「本陣の論争に結論をつけたとも言える大きな発見」と主張する。
 この文言について静岡大学の小和田哲男教授は「『掛川市史』の執筆時から入山瀬よりも不入斗の方が位置的に陣場にふさわしいと考えていた。江戸期の伝承に文言があったというのは有力な証拠になると思う。家康の掛川城攻めの様子を知る上で注目される発見」と話している。
http://www.shizushin.com/local_social/20071126104724.htm

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⇒参考 : 戦国時代の本 ⇒戦国時代掲示板

2007年11月20日

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家康の生誕地に「しかみ像」 徳川宗家18代当主が岡崎市に寄贈
中日新聞

 徳川宗家18代当主で徳川記念財団理事長の徳川恒孝さんが、徳川家康の石像「しかみ像」を、家康の生誕地である岡崎市に贈った。石像が設置された同市康生町の岡崎公園竜の噴水広場で11日、徳川さんや柴田紘一市長らが出席して贈呈式と除幕式がある。

 石像は、高さ1・27メートルで、台座付き。家康の祖先・松平氏発祥の地である豊田市の松平郷、六所山から採掘された花沢小目石を使い、岡崎市梅園町の石工職人、小林道明さん(68)が1カ月半ほどかけて仕上げた。

 しかみ像は、元亀3(1572)年の三方ケ原の戦いで、武田信玄に冷静さを失って敗れた家康が、肝に銘ずるために自戒を込めて描かせた肖像画「徳川家康三方ケ原戦役画像」が基になっている。

 小林さんは、肖像画などを参考に、憔悴(しょうすい)し切った表情で、ほおづえをついて足を組む家康の姿を再現した。「顔の表情を出すのが難しかった」と話す。

 贈呈式には関係者約60人が参加予定。午後1時半からあり、連尺小学校の児童たちの「五万石太鼓」の演奏に次いで、徳川さんが柴田市長に目録を贈呈。除幕する。

 この後、徳川記念財団の主催で岡崎公園内の龍城神社で、徳川さんが「江戸の遺伝子」と題して講演する。定員150人。入場無料。
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20071107/CK2007110702062368.html

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日本の歴史至上で最も熱かった時代、それは戦国時代。 でも、こんな時代が本当にあったのだろうか? これだけの資料があるのだから、戦国時代ってのは本当にあったんだろうなぁ。 未だに半信半疑な気分でのめり込んでいます。

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