2008年05月25日

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行方不明だった屏風絵 狩野永徳作だった

狩野派の屏風(びょうぶ)絵で、数十年にわたり行方不明だった逸品の存在が、最近ふたたび確認された。しかも、新たに調べた専門家は、安土桃山時代を代表する絵師・狩野永徳(1543~90)の作と判断した。織田信長や豊臣秀吉が重用した永徳は、真筆と目される作品が約10件しか現存していない。

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見つかった狩野永徳の「松に叭叭鳥(ははちょう)・柳に白鷺(しらさぎ)図屏風(びょうぶ)」のうち左隻
http://www.asahi.com/culture/update/0523/images/TKY200805230320.jpg
見つかった狩野永徳筆の「松に叭叭鳥・柳に白鷺図屏風」のうち右隻
http://www.asahi.com/culture/update/0523/images/TKY200805230321.jpg
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 見つかったのは、六曲一双(6枚折りの屏風が左右1隻ずつ対となる)の「松に叭叭(はは)鳥(ちょう)・柳に白鷺(しらさぎ)図屏風」。右隻は、渓流のほとりに松が太い根を張り、黒い叭叭鳥(水墨画などによく描かれた鳥)が13羽。左隻はやはり太い幹の柳と池、それに16羽のシラサギが配されている。両隻とも水墨画で、高さ160.5センチ、幅約350センチ。墨の色も濃く、力動感あふれた作風だ。

 もとは、実業家で古美術品収集家としても知られた原三渓(1868~1939)の所蔵品で、当時は永徳の祖父・元信(1476~1559)作の「鷺烏(ろう)図屏風」と考えられていた。原の所蔵品売り立て目録「松風閣蔵品展観図録」に写真が載り、その後は数十年、在りかが分からなかった。

 辻惟雄(のぶお)・東大名誉教授(日本美術史)は約40年前から、写真しか手がかりのなかったこの作品を、元信でなく永徳の作だと推測していた。最近になって、古美術商から情報がもたらされ、都内の画廊でついに作品と対面。樹木の根や岩の描き方など、作風から、やはり永徳と判断した。

 永徳には京都府・大徳寺聚光院に残る国宝「花鳥図襖(ふすま)」がある。今回の屏風はよく似た作風から、辻さんは、それより少し若いころの制作と推定している。

 作品は7月8日から東京国立博物館平成館で開く「対決―巨匠たちの日本美術」展に出品されることが決まった。
http://www.asahi.com/culture/update/0523/TKY200805230315.html

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⇒参考 : 戦国時代の本 ⇒戦国時代掲示板

2007年10月20日

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洛中洛外図 「歴博甲本」作者、狩野元信と推定
このニュースに関連して、昨日の読売新聞に面白い記事が載っていた。
洛中洛外図[らくちゅうらくがいず] 歴博甲本には様々なコードが隠されていた事が発見されたという。
最近ではダヴィンチコードなる映画が公開されていたのでピンと来るはずである。
まあ、からくり、暗号といったところだろうか。

洛中洛外図は京都の市街や近郊の様子を描いた絵画[屏風]で何点か現存している。
当時の文化風習や建築様式を知る上で非常に役立つ、重要な文化財でもある。

先の記事にもあったが16世紀の作は歴博甲本、東博模本、上杉本、歴博乙本と呼ばれる4点だけで、あとは江戸時代の作品だという。
最も有名な洛中洛外図屏風が1574年[天正2年]に狩野永徳が描いた上杉本で、石山本願寺、越前国、伊勢長島の本願寺勢の蜂起で忙殺されていた織田信長が武田勝頼の南下阻止を依頼するために上杉謙信に贈ったとされていたが、最近では足利将軍が上杉謙信に上洛を促す意図で贈ったとされる説も有力だ。
上杉本には、輿に乗った上杉謙信らしい一行が上洛する様子が描かれている。当時は幕府から許可が無いと輿に乗ることを許されなかったから、輿に乗っているのが上杉謙信だと分かる。
現在、上杉本は国宝に指定されている。

さて、話は歴博甲本に戻るが
歴博甲本のテーマは「父子の繁栄」だということだ。

作者は狩野元信で、発注したのは当時の室町幕府管領 細川高国と推定される。
細川高国は大永元年(1521年)3月に将軍 足利義稙[よしたね]を追放し、足利義晴を第12代将軍として擁立し、天下人に最も近い地位にある人物だった。
嫡子の稙国[たねくに]に家督を譲ったとき[大永4年(1525年)]に、室町幕府の絵師・狩野元信にこの洛中洛外図を描かせたらしい。
だが「父子の繁栄」という細川高国の願いとは相反し、嫡子・稙国は家督を譲られたその年に死に、1531年[享禄4年]細川高国 自身もライバル細川晴元の重臣・三好元長に攻められ自刃している。

- 洛中洛外図コード -
コードを発見し研究した一人、国立歴史民俗博物館の小島准教授によると、
「笛で遊ぶ家人」は主人が留守をしていることを意味するコードと解釈し
白い顔は公家を意味する。
烏帽子[えぼし]の形によって身分を区別する。
屋根や柱で顔をわざと描かないよう配慮された人物が将軍であると読み解いた。

このスタイルは後に描かれている上杉本などの洛中洛外図にも一部受け継がれているという。

洛中洛外図屏風甲本[写真]
http://www.rekihaku.ac.jp/gallery/rakutyuu/index.html
http://www.rekihaku.ac.jp/events/gallery/index.html

洛中洛外図屏風甲本公開[重要文化財]
国立歴史民俗博物館 第2展示室
平成19年10月30日(火)~11月11日(日)
http://www.rekihaku.ac.jp/events/o071030_r.html

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⇒参考 : 戦国時代の本 ⇒戦国時代掲示板

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「歴博甲本」作者、狩野元信と推定 国立歴史民俗博物館

 京都を詳しく描いた「洛中洛外図屏風」の中で最古と言われる「歴博甲本」(重要文化財)について、所蔵する国立歴史民俗博物館は、作者を狩野元信と推定するなどの研究成果をまとめた。

 約100点の存在が知られる「洛中洛外図」の中で16世紀の作と言われるのは、歴博甲本、東博模本、上杉本、歴博乙本と呼ばれる4点。残りは17世紀以降の江戸時代に描かれた。「歴博甲本」は現存する洛中洛外図では最古で、16世紀前半の作品と考えられてきたが、作者や制作目的など、不明な点が多かった。

 歴博の小島道裕准教授によると、史料や文献などから絵の中の個人名を特定していくことで、制作意図や作者を推測したという。

 室町幕府の第12代将軍足利義晴を擁立した細川管領家の当主高国は1525年、新しい将軍御所を建設し家督を息子の稙国(たねくに)に譲った。高国の統治下で栄える京都の姿を、幕府の御用絵師である狩野元信に描かせたのが甲本だという。さらに、稙国は家督を譲られた年に亡くなっているので、制作が始まったのは1525年と推定できるという。

 小島准教授は「甲本は、高国が自分の次の世代の繁栄を願って制作させたと考えられる。高国が絵を頼むとしたら御用絵師の狩野元信だったと推測できる」と話している。

 甲本は30日から、千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館で公開される。

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200710040106.html

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日本の歴史至上で最も熱かった時代、それは戦国時代。 でも、こんな時代が本当にあったのだろうか? これだけの資料があるのだから、戦国時代ってのは本当にあったんだろうなぁ。 未だに半信半疑な気分でのめり込んでいます。

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