« 石山本願寺跡か 土器破片など発見 大阪城天守閣北側 | ニューストップ

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天下統一を狙う織田信長に対抗した本願寺勢力が、11年間にわたって拠点にした石山本願寺。大阪城天守閣(大阪市中央区)近くで見つかった少量の土器片は、覇権争いが繰り広げられた戦国絵巻をほうふつとさせる成果となった。

 歴史教科書にも登場する石山本願寺は、戦国史研究にとって重要な寺院にもかかわらず、実態はほとんど分かっていない。寺があったとされる現在の大阪城公園内は大半が国特別史跡で、観光客でにぎわう場所でもあり、発掘調査が困難なことが大きな理由だ。

 こうした中、平成19年の調査はわずか50平方メートルだったが、年代が特定できる土器や石山本願寺炎上に結びつく土壁などが見つかった。佐藤隆・大阪市文化財協会事業担当係長は、天正10(1582)年の本能寺の変で炎上した本能寺跡(京都市中京区)出土の土器などと丹念に比較しながら、16世紀後半と特定したという。佐藤係長は「見つかった土器は石山本願寺が勢力を誇った時期とほぼ合致した」と話す。

 中近世に詳しい松尾信裕・大阪城天守閣館長(考古学)は「土器の年代は石山本願寺の時期でほぼ間違いない。現在の大阪城にあったとする説を裏付ける成果だ」と評価。土器が大坂城築城時の造成土の中にあったことから、「発掘現場から近い場所に石山本願寺の中心施設があった可能性が高い」と指摘した。

 石山本願寺は信長の攻撃に備えて、要塞(ようさい)を思わせる堀や土塁を築いたとされ、石山合戦でも信長側の占領を許さなかったという。松尾館長は「石山本願寺は信長勢に屈しないほど難攻不落で、まさに城郭というべき寺院だった」とし、ポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスが「旧城」と記した点については「フロイスが城郭と感じるほど堅牢(けんろう)だったからだろう」と話した。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/318995/

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⇒参考 : 戦国時代の本 ⇒戦国時代掲示板

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かんりにん一言

日本の歴史至上で最も熱かった時代、それは戦国時代。 でも、こんな時代が本当にあったのだろうか? これだけの資料があるのだから、戦国時代ってのは本当にあったんだろうなぁ。 未だに半信半疑な気分でのめり込んでいます。

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