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戦国期激闘の痕跡
長浜・横山城遺跡 防御用切岸など出土
敵を防ぐために設けられた切岸の遺構(長浜市の横山城遺跡で) 戦の際、刀の鞘から外れたとみられる鐺
敵を防ぐために設けられた切岸の遺構(長浜市の横山城遺跡で) 戦の際、刀の鞘から外れたとみられる鐺 長浜市東部の横山城遺跡で、16世紀後半のものとみられる、刀の鞘(さや)の先端部にはめる金具「鐺(こじり)」が県内で初めて出土し、市教委が20日、発表した。防御のため斜面を削った切岸(きりぎし)、土塁の基礎となった石列などの遺構も検出されており、織田信長らが足を踏み入れ、激戦の舞台となった同城の実像が浮かび上がってきた。
市教委によると、同城は京極氏によって築かれ、浅井氏の手に渡った時期を経て、姉川の合戦(1570年)の際は、信長の軍が浅井氏攻めの拠点と位置付け、陣取った。主要な施設は横山の南北2か所にあったと推測されているが、これまで建物遺構は出土していない。
今年8月、市教委が標高300メートル付近の3か所(計約50平方メートル)を発掘。雑兵を配置する曲輪(くるわ)の跡から、土師器(はじき)や信楽焼の皿などとともに鐺1点が見つかった。
楕(だ)円柱形の銅製品で、鞘の先端に当たっていた底部の長径が約3・5センチ、高さ約1・8センチ、重さ約9・4グラム。装飾はなく、雑兵の刀の鞘が戦で破損した際、落ちたとみられる。当時、武具の部品は回収されるのが普通だったので、出土することは珍しい。
切岸遺構は、曲輪跡の西側、二重の空堀の直上に位置する。高低差約5・2メートルの斜面の土を、長さ約8メートルにわたって削っており、西側の守りの要だったことがうかがわれる。石列(長さ約1・1メートル)も、曲輪付近で検出された。
長浜城歴史博物館の森岡栄一・副参事(52)は「横山城一帯での戦いについては、文献で知られるだけだったが、今回の発掘結果は、激戦が行われたことを裏付ける貴重な物証だ」と評価している。
鐺は26日まで市立長浜図書館(0749・63・2122)で展示されている。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shiga/news/20081121-OYT8T00039.htm
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