天正遣欧使節[てんしょうけんおうしせつ]
天正遣欧少年使節とも
キリスト教を日本で布教するための支援をローマ教皇から得るため、九州のキリシタン大名である大友宗麟、大村純忠、有馬晴信の名代として少年4人がローマへ派遣される
天正10年[1582年]2月 長崎出発 〜 天正13年[1585]年3月 ローマ到着
伊東マンショ
千々石ミゲル[ちぢわ]
中浦ジュリアン
原マルチノ
4人はローマ教皇グレゴリウス13世やスペイン国王に謁見するなど、ヨーロッパ各地で歓迎される。
そして、天正18年[1590年]に帰国するものの、帰国の3年前[天正15年 1587年]には豊臣秀吉によるバテレン追放令が出されており、さらに彼らを派遣した大友宗麟や大村純忠は既に死亡していた。
当然、4人は行き場を失い、失意のうちに追放や死刑に処されている。
伊東マンショ
九州各地で布教、病死
千々石ミゲル[ちぢわ]
キリスト教を棄教
中浦ジュリアン
布教活動を続け、寛永10年[1633年] 逆さ吊りの刑で処刑
原マルチノ
慶長19年[1614年] マカオに追放