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先日、エントク和尚の一分説教、豊臣秀吉が肖像画を描かせた際の三条件を紹介しましたが、
今度は大阪城の石の話です。
秀吉は大阪城の石垣を組まさせる際、またもや職人に困難な指示を出します。
それは小さな石から組んで行き、上に大きな石を置けという常識外れな事でした。
たぶん全体にそれをやると崩れるんで一部分だと思います。
そして四国から巨石を運んだと言いますが、その運び方にも技術が必要でした。
活躍したのは京都の石匠たちだったと言います。
なかなか面白い話ですね。

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⇒参考 : 戦国時代の本 ⇒戦国時代掲示板

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