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■元亀3年 [1572年]
12月22日
上洛途中の武田信玄が徳川家康に完全勝利した三方が原の戦い[みかたがはらのたたかい]の最中、
家康たちが危ういと聞き、浜松城の留守を守る家臣・夏目正吉(吉信)は居ても立ってもいられなくなり、家康を迎えに早馬を走らせた。
ようやく家康を見つけると自ら囮となり、「我が徳川家康ぞ!!」と敵陣に突っ込んで行き、
家康を無事浜松城に帰した。
そして、討ち死にした三河武士の殆どが浜松の方に頭を向け、うつ伏せに倒れ、
退却する者は浜松のほうに頭を向け、仰向けに倒れ武田に背を向けて死んでいる屍は無かったそうだ。
この話は武田信玄の家臣・馬場信房が信玄に報告した話として伝えられるが、
いくらなんでもこれは作り話だろうと思うのだが、敵である信玄側の情報なので、強ち作り話とも言い切れないのだ。
ともかく家康を中心とした三河武士の絆・団結力や勇猛果敢さには驚かされるばかりである。
ところで、家康は逃げ帰る途中、敗北の情けなさと恐怖のあまり切な糞をもらしたエピソードは有名である。
一時は囮で敵を撹乱できたものの、何度か武田の騎馬武者に追われたらしい。
戦国時代最強の武田騎馬武者に追いかけられる恐怖は凄まじい物があったのだろう。
それでも、家康は生き残っている。実は家康は弓の達人でもあった。
家康は追いかけてくる敵を馬上より弓で射倒しながら、駆けに駆け、難を逃れたという。
ちなみに、囮となった夏目正吉は夏目漱石の祖先に当たるそうだ。
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