旧本能寺跡 石碑 拡大地図
戦国時代の最中、その頃ヨーロッパでは何が行われていたのか
"歴史の流れを見ていく場合、日本史と世界史との間には大きな関連があることを忘れてはいけません。どちらか一方だけを重視して見てしまうと、正しく流れを掴むことができなくなります。大切なことは、日本における特定の時代に他の国々で何が行われていたのかを考えていくことです。たとえば、日本においては戦国時代に戦乱が多発していました。民主主義が発達している社会であれば言論によって物事を解決するのが基本になりますが、戦国時代は武力で物事を解決するのが一般的でした。武力が強ければ強いほど、自分が望んでいるとおりの社会を作り上げていくことができます。日本の戦国時代というのは、15世紀の末から16世紀の末までの期間を指しています。この期間は、ヨーロッパにおいては日本と異なる状況になっていました。ヨーロッパでは、ルネサンス・宗教改革が行われたのです。つまり、武力で物事を解決することに力を入れていたわけではなく、宗教に基づいて物事を考えるようになっていたことになります。
もちろん異なる宗教を信じる者同士の争いは頻発していたため、武力と全く無縁だったわけではありません。しかし重視されていたことは、キリスト教を積極的に広めていくことだったのです。そのために海外との貿易を頻繁に行ったりしました。また、コロンブスが大西洋を渡り、西インド諸島に到着したのも戦国時代の最中です。ヴァスコ・ダ・ガマは、アフリカ大陸を回ってインド西海岸にあるカリカットに到着しました。また、マゼランがフィリピン諸島に到着し、さらに世界一周を達成した時代でもあります。日本においては国内での争いが多発していた時代ですが、ヨーロッパ諸国ではせ局的に海外に出ていこうとした時代だったのです。
武力に関する点から見ていくと、スペインが植民地を広げていったことも分かります。東アジア・アメリカ大陸・フィリピンなどに進出しました。また、ポルトガルも海外への進出に力を入れていました。日本では戦国時代と呼ばれていたわけですが、ヨーロッパを中心に考えると大航海時代ということになります。
日本とヨーロッパが深く結びついていた時代ではなかったわけですが、歴史を見ていく上ではヨーロッパにも目を向けることが欠かせません。歴史というのは、さまざまな国が複雑に絡み合っているものです。特定の国の状況だけを見ていても、正確な状況を掴むことはできないのです。ヨーロッパに目を向けると、歴史の見え方が変わります。"
⇒参考 : 戦国時代の本 ⇒戦国時代掲示板